ブログ~多様性の小径~


この1年とカミサマがくれた休暇

今日は2011年の大晦日。

昼間、新宿で、F大の学生と会い、私の人生について、インタビューを受けた。
このような年末は実に珍しいことだと思う。

そう、昨年度より、F大で「アジアとの出会いと異文化体験」という授業科目を担当させてもらい、2011年2月、バングラデシュへ学生を連れて行ったり、今年度後期は、フィールドワークの方法論を教えたりしているのだが、その授業の関連で、「自分が尊敬する女性のライフヒストリーを聴き取り、その人にとって人生の豊かさとは何か?としてまとめてくる」というレポートを課したのだが、そのインタビュイイーに、私自身がなってしまったのである。

私をインタビューの素材に選んだ19才のYRさんは、私を尊敬しているという。
何ともありがたいことだ。

そして、今日、そのインタビューを受けて再発見したのは、
私の人生は、紆余曲折があったにせよ、私個人ではなく、
社会のために働きたいという点では首尾一貫してきた、ということである。

特に、貧乏な画家と教員である両親を持って、
思想的あるいは哲学的に、社会との接点をどう持つかを考えさせられた。
両親はそれぞれ、孤高の創作活動に人生を投じ、
その作品を発表することを通して世の中と接点を持とうとした。

中学・高校時代、私は、そんな閉じたかに見える実存主義に反発をした。
だから、大学は、芸術分野ではなく、実学=植物生態学を選んだ。
アフリカの砂漠を緑にしようと思ったのだ。

しかし、卒論でブナの森を歩くうちに、
自分は植物そのものより人間や人間をとりまく環境に興味があることに気づいていく。
そして、大学院は理学研究科にではなく環境科学研究科に進み、生態人類学を専攻した。

今、ここでは、その人生を振り返りはしないが、

私は、心底、人間が好きなのだと思う。

 

人類学の研究者としては大成できなかったが、
30代後半から、ワークショップという協同的な学びの実践をもとに教育学に転じた。

修士号を取り、幸いにも、2つの大学で、学生の教育に当たることになった。

どちらも、体験学習をもとに、人生の経験を深める学びに通じる科目を担当している。

そして、この1年、本当にいろいろなことがあった。

◆1番は、先程も触れたが、2011年2月、F大の12人の女子学生をバングラデシュに連れていったことだ。

大学の強力なサポート体制もあり、無事に行って来ることができた。国際協力NGO・シャプラニール=市民による海外協力の会のプロジェクト地、ノルシンディー県アムラボ村にお世話になった。そして、シャプラニールとも縁の深い、シャヘ・アラム氏の通訳とコーディネーションのサポート無しでは、このスタディーツアーは成立しなかった。

そして、この12人の学生とは、いまだに関係が続いている。

若い彼らの人生に影響を与えた、すばらしいスタディーツアーだったとのことである。

 

◆2番目は、私個人のWEBサイト、
Be-winds 〜風になって・風にのって・風になろう〜を立ち上げたことだ。

共育ファシリテーターとして活動し10年経っていたが、
その年月はニューヨークの世界同時多発テロ、9.11からの10年でもあった。

グローバルなテーマで、何かを強く発信したくなったのだ。

そして、このWEB制作は、ワークショップのファシリテーションをともに学ぶ仲間からのサポートがあってこその実現であった。

しかし、3.11があり、発信する内容はグローバルな事には留まらなくなった。

 

◆3番目は、何より、3月11日の東日本大震災と福島の原子力発電所の事故である。

国際協力NGO・シャプラニールのモットーは、より虐げられている人々への協力である。
震災後、多くの日本のNGOや西日本のボランティアセンターが岩手県や宮城県に支援に入ったのに対して、シャプラニールは、あえて、福島県を選んだ。
実際には、福島県いわき市の緊急救援と復興支援を行い、今、9カ月目になった。

いわき市には、福島原発の事故の影響をもろに受けた双葉町の住民も避難してきて、原発の補償を手厚く受ける住民と、何もかもを無くした漁民と、無傷だった高台の住民とが混在する複雑な様相を呈しているようだ。

そこへ、シャプラニールの職員・内山さんなどが、調理セットを被災した950世帯へ配った。それは、モノを配るだけではなく、傾聴を伴う人と人との出会いの活動であった。そして、今、シャプラニールは、被災した人々の交流スペースを立ち上げ、その運営を行なっている。

私は、8月30日、福島を支援するシャプラニールのボランティア有志として、最初仲間4人と、「原発と私たちを考える勉強会」を立ち上げた。

福島を支援するのであれば、原発のことは避けて通れないと思ったからである。
しかし、一般人にとっては、原発はわからないことがあまりに多い。
だから、勉強会なのである。

1回目の勉強会は10月15日(土)、ビデオ教材「原発、ほんまかいな?」(PARC制作)を
観てワールドカフェで意見交換をし、最後は全員で輪になりふりかえりを行なった。

2回目の勉強会は11月19日(土)、開発教育協会(DEAR)の八木さんが全研で示した
ワークショップ「テクノロジーの利用と私たち」(原案:G・パイク、D・セルビー)をもとに、
原発という巨大技術の危うさを改めて意識し

そして、第3回目は、「Listenいわき」との共同企画で、
震災後、福島県いわき市に支援に入った、
シャプラニールの職員、内山智子さんの9ヶ月にわたる活動をお聞きした。https://www.be-winds.jp/?p=954た。

そして、第4回目は、2012年3月10日(土)に、自然エネルギー政策研究所の主任研究員・松原氏を招いて、自然エネルギーの可能性について学ぶ予定だ。

勉強会への参加人数はそう多くはないが、毎回、深い学びが続いているし、福島のパル生協からの参加や、若い世代のボランティアの参加もあり、勉強会の輪も徐々に拡がってきている。

とにかく、原発の安全神話は崩壊したのだから、エネルギー・シフトが起こるよう願って勉強会を続けて行きたい。
福島の原発の事故にとって、私たち首都圏の人間はその電気を利用してきた者として加害者でもあるのではないかと、そんな風にも感じている。

 

◆4番目は、ワークショップの実践に研究が加わったこと。

昨年同様、8月に日本教育学会、9月に日本教育工学会で、学会発表を行なった。

12月22日には、横浜国大教育学研究科の有元ゼミで、「テクノロジーの利用と私たち」というワークショップを行い、参加者の主体性がその場に立ち現れる協同的学びを実践した。https://www.facebook.com/media/set/?set=a.285574741493165.80765.100001219247691&type=3

そして、10月から断続的に書こうとしてきた論文、「ワークショップでひろがる学びのプロセス」を学会発表原稿をもとに整理して、12月28日、S大学の紀要論文集に投稿した。

 

長い1年だった。

 

論文を脱稿したその日の夕方、突然、腰痛が襲った。何の前触れもなかった。

しかし、夜、横浜で人と会う予定があった。
携帯を持たない御仁だったので、出かけるしかなかったが、
案の定、普通に歩くこと、電車の椅子から立ち上がること、
身体を前屈みにすることができなかった。
その都度、激痛が走り、声を失いそうになった。

用事が終わり、その日はとにかく、早く家に帰りつきたかった。
どうやって帰ってきたのか実際あまり覚えていない。

翌日、近所の公立病院はすでに年末年始の休診日に入っていた。

家の中で、一歩一歩、歩くことはできたが、
キッチンに立ち包丁を握ると腰に激痛が走った。
腰痛が軽くないことを自覚しなくてはならなかった。

FACE BOOKで知り合いのアドバイスもあり、
とにかく受診できる整形外科をインターネットで探した。
隣の市に整形外科のクリニックがみつかり、這うようにして行った。

診察の後、注射とコルセット、投薬をしてもらった。
家事と掃除は厳禁と言われた。

夜は、知人でもある指圧師Z氏から様子を聴く電話が入った。
専門家に話を聞いてもらえるのはうれしかったし、とても心強かった。

医者の許可もあったので、
翌日は予定していた東京・奥多摩の温泉「瀬音の湯」に遊んだ。

やわらかなお湯とゆったりとした時間でとても癒されたが、車での移動は体に負担をかけた。
その夜、さらに新宿で打ち合わせがあった。
出かけて帰ると、やはり調子は良くなかった。

このまま治らないのではないか?
年明け1月10日(火)の講義は立って行えるのか?など、
夜になると不安で、Z氏にメールを書く。
腰の症状以上に、不安な気持ちが嵩じていた。

でも、アドバイスどおり、きちんと寝れば、翌朝には腰の痛みが軽減し、
寝返りを打てなかった腰が動かせるようになっていった。
薬で痛みを抑えているのかもしれないが、確実に快方に向かっている。

しかし、昼間動くと、腰の芯にズキズキがやってくる。

観念するしかない。

今年は年賀状をあきらめた。(皆さん、ごめんなさい。)

 

カミサマが下さった休暇だと思おう。

正月1日2日は、安静にすることにした。
(3日夜の新年会兼打ち合わせはどうしようか、とまだアガク自分がいる。困った。)

1月4日に指圧師Z氏に診てもらうまでに、状態を良くしよう。

これは、2011年の最後にカミサマが下さった休暇。

謙虚に、謙虚に。

コメント(閉鎖中) (3)

  • シーラカンス 12-01-04 (水) 18:15

    黒いランドセルの頃からの知り合いです@名古屋。←これでわかるよね?

    ぎっくり腰、無理したらあきまへんで。
    いいアドバイザーや医療機関がついているようですから大丈夫だとは思いますが、
    お互いに年齢を感じつつある今日この頃、体の声に耳を傾けるのも大事でっせ。

    腰痛予防のストレッチ、バカになりません。
    痛くなくなったらお試しください。
    またこのHPに遊びに寄せていただきますね。

  • AZUU 12-01-04 (水) 19:56

    シーラカンス@YUKO様
    コメント、ありがとうございまっす!!! 
    今日午後、たっぷり2時間、指圧師Z氏が身体全身診てくださました。
    いろんな部位が凝り固まっていたのを、上手に、ていねいに、ていねいに、ほぐしてもらいました。

    身体軽くなりました!!! 
    腰痛は、最悪(激痛が走っていた)時を300%とすると、
    お正月1日2日に良く寝て休養し、薬とコルセットのおかげもあるでしょうが、
    痛みは、80%まで下がっていましたが、
    指圧を受けて、さらに、今は、痛みは5%〜10%ぐらいな感じです。
    このいい状態をどう維持するかは、私の責任です。

    Z氏には、社会の都合に自分を合わせるのではなく、
    自分の身体に合わせて生活するように、
    今が、我慢の時だと、諭されました。

    \_(^◇^)_/腰痛予防のストレッチ、これから習っていきます。
    そして、身体全体を使った動きができるように改造できたらと思います。

    遠くからのお見舞い、ありがとうございました。
    また、遊びに来てください。(o・・o)/~

  • AZUU 12-01-11 (水) 16:29

    腰痛は大分良くなりました。
    1月10日(火)F大での講義、無事に終えました。
    1月11日(水)SIT大での月例会議、無事に終えました。

    さあ、投稿論文の最終調整と、バングラデシュ行きが待っています。

大学での教育や共育ファシリテーターとして思ったことなど、日々の思索をつづっていきます。 価値の多様性を尊重し、さまざまな意見に出会いたいとも思っています。 お感じになったことは是非コメントをお寄せください。よろしくお願いします。

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